社交ダンスにおける男性の役割

300年以上の歴史があるレミーマルタン社の代表作、ルイ13世というブランデーがある。

中身の価値もさることながら、それを入れたバカラ製の瓶自体にも価値がある。

空瓶でもそこそこの値段で取引されている。





社交ダンスの世界では古くから言われていることがある。

「女性が一枚の絵画であり花であり芸術作品である。そして男性はその額縁であり花瓶であり作品を乗せる台である。」

つまり主役は女性であり、男性はそれをクールに引き立たせる存在であるべきだと言われている。

暴力的な極論になってしまうが誤解を恐れず言うと、男性は自身が動かなくても女性を動かし輝かせることが出来ていれば十分なのである。


しかし競技の世界ではそうはいかない。

競技ダンスの世界では男性に背番号が付いている。特に選手がひしめき合っている予選の間、審査員はその背番号を目で追うため、どうしても男性の動きに注目が集まりがちである。

事実、中堅クラスの競技会までは、慣れていない女性を抱えてベテランの男性の力のみで成績を出している者をたびたび見かける。そしてその逆は皆無。

そんな踊りに慣れてしまうと、本来の社交ダンスから離れてしまう。そして成績はそこそこ出ているのに、自身のパートナー以外とは踊れない存在になってしまう。


かくいう私もそのきらいがあった。

これは自分への言い聞かせにもなることだが、男性にはどこかのタイミングで一度原点に戻って女性目線で考えることを勧める。

今女性が靴のつま先側で立っているか、踵側で立っているか。内側で立っているか、外側で立っているのか、どうすればのびのび踊ってくれるか。

どうすれば目の前の女性がより綺麗に輝けるか。

そして嘘でも良い、

「私こそがこの女性を世界一綺麗に輝かせることが出来る男だ!」

と自信を持つことで、社交ダンスの本来の喜びを見いだすことができるのではないだろうか。




香椎健人のダンスコラム

東京新宿区神楽坂で社交ダンスの先生をしている香椎健人(かしい けんと)と申します。 こちらでは社交ダンスの先生として、現役競技ダンスの選手として気付いた点についてコラムを書いていきたいと思います。

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